ナミねぇと野田聖子総務大臣の対談が、月刊ニューメディア誌に掲載されました!

2017年11月13日

 

創刊35年記念対談
20年来の知人
野田聖子総務大臣×竹中ナミプロップ・ステーション理事長
「障害児の毋としての子育てからNHK同時配信まで」を語る

 NEWMEDIA 2017年12月1日号 より転載

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創刊35年記念対談

20年来の知人
野田聖子総務大臣×竹中ナミプロップ・ステーション理事長

「障害児の毋としての子育てからNHK同時配信まで」を語る

 

「野田さん、お子さんの真輝君、元気?」「もう1年生なのよ」「早いねえ、写真見せて」一総務大臣室でこんな挨拶を交わす二人。野田さんの朝は「毎朝5時、早起き息子にたたき起こされることから始まる」(野田聖子ホームページ)という日々は、医療ケアが必要な真輝君の子育てと政治家という仕事の両立である。竹中ナミさんは44歳となる重度障害の娘を持ち、IT就労を目指す社会福祉法人プロップ・ステーションを設立したバイタリティあふれる神戸のお毋んだ。この二人に35年記念の対談をしてもらった。

二人が共感しあう
関係になるきっかけ

― 野田さんはホームページ(HP)に「私の一日は毎朝5時、早起き息子の真輝にたたき起こされることから始まる。おむつを替え、朝食をとらせながら、あたふたと出勤の準備をして職場へ」ということですから、真輝君が毎朝の号砲役ですか。

野田 そうなんだけど、最近はちょっと違うんですよ。おむつではなく、自分でうんちとオシッコをするんで「モウさんにして」と言ってお尻を拭いてます(笑)。

竹中 そうそう四つんばいの「モウさん」ですね(笑)。小学生になって成長しましたか。

野田 このHPの文章は1年ぐらい前のアップだから、どんどん成長してますよ(笑)。

竹中 私は聖子ちゃんを信頼して尊敬してるんやけど、そう思ったんは、障害のある人を秘書として活躍させていると聞いたとき。しかも選挙人名簿の管理という大事な仕事を任せてるということで、これはほんまもんやなと思ったんです。

野田 ナミねぇ(竹中さんの愛称)、ありがとう。lCT技術のおかげで、例え発話できなくてもメールやチャットで十分話しができるので。やってもらえることがたくさんあるから、彼らの実力を発揮してもらうという考えでした。

竹中 日本の政治家で、そこまでのスタンスを持たれていることに驚きました。

野田 ナミねぇがICTを駆使してチャレンジド(障がいを持つ人の可能性に着目した新しい米語)の自立と社会参画、就労の促進を「チャレンジドを納税者にできる日本」と訴えているスローガンと同じ経験をやっていたんだと気づかされました。

 

私の子育ての原点は
「あー今日も生きてる、うれしい」

― 野田さんはHPに「仕事と育児の両立が始まって以来、好きな読書が入浴中にしかできなくなったのが少々辛い」とありますが、子育てと政治家の仕事の両立は苦労が多いですか。

野田 私の息子は仮死状態で生まれ、何度も手術をして死にかけてきましたから、「今日も生きててくれてありがとう」っていう気持ちです。大変ということより、毎朝思いっきり頭を叩かれて起こされたとき、「あー今日も生きてる、うれしい」という実感があるんです。そのことがいとおしいんです。

竹中 健常児のお母さん方は「生きているのが当たり前」やけど、聖子ちゃんや私らはスタートラインが違うんやね、

野田 そうね、真輝は医療の進歩が生んだ「新型障害児」と呼ばれている、医療ケアが必要な子なんです。今年4月から1年生になりましたが、医療ケアが必要な子どもたちは地元の学校に行けません。真輝は知的障害もあるので特別支援学校に通っているんです。

竹中 昭和54(1974)年、それまで障害のある子は就学免除という措置から全員就学ということになったんですが、そのとき重度の障害児を対象にした先生が訪問して教えてくれる訪問教育の第一号に娘のマキはなったんです。マキには4つ年上の兄がいるんですが、これ以前からお兄ちゃんと一緒に学校へ行き、遊んでいました。当時の学校は自由なところも結構あって、「マキたんルーム」と勝手に看板を掲げて道具部屋で遊んだりしてました。校長も眉をひそめながらも、認めてくれていたら、その学校が障害児教育として注目されたんです。

野田 今でいうインク儿−シブ教介が自然な形で生まれていたんですね。役所が取り組むと制度づくりを考えるので、どこかギクシャクしてしまうんだなあ〜。

竹中 障害者の就労間題でも、同じようなことがあるんです 法定雇用率という制度がありますが、それが始めにあって、次に仕事となるんです。仕事は自分たちで作り出すもので、そのやり方は自分たちで考えることやと思うてるんやけど、法定雇用率の考えだと仕事に自分を合わせることになってしまう。この制度のメリットは確かにありますが、反面では働けない人も生まれていることがあります。ですから.靴に合わせるのではなく、足に靴を合わせるという制度づくりを政治と行政に期待しています。

 

20年を越える政治家生活で
初めて経験したことばかりの2カ月

― 総務大臣としての仕事は2カ月、いかがでしたか。

野田 この2カ月間、消防庁とJアラート対応が一番多く。政治家20数年の生活でかつてなかったことでした。自分たちの頭上をミサイルが飛んでいくわけですから、最悪の事態を防ぐために24時間の臨戦態勢でもあり、寝不足気味です。

竹中 北朝鮮のミサイル発射問題は国際的に対処すべき問題ですが、自然災害については国としてできることがまだまだあるように思っています。

野田 日本の国土を支える構造物は昭和の高度経済成長明に建設たされたものが多く、老朽化に直面しています。こうした設備の保守・補修よりも、選挙がらみで新しく建てるということを優先する傾向がありますので、政治として対応すべき大きな課題です。ナミねぇは阪神淡路大震災で実家が被災して燃えてしまったんだよね。

竹中 そうなんやけど……。

野田 被災した立場から大事なことは何かありますか。

竹中 一番大事なことは迅速な情報提供やと思ってます。以前に消防庁で、障害者への情報提供の在り方を検討した際に.ベルと光を標準にするための委員会を消防庁と一緒に立ち上げ、議論を経て変更しました。

野田 ベルの音は視覚障害者に伝わるけど、聴覚障害者には光と振動を使ってより確実に伝わるということですね。

竹中 NHKにお願いしたいことがあります。緊急時の放送こそ生字幕がほしいんですが、実現していません。技術の進化を生かしてほしいんですが、なかなか進みません。問題の一つに字幕の誤記を心配しすぎていることがあるように思ってます。緊急時こそ少々の誤記・誤字があっても情報を伝えてほしい、という当事者の声に耳を傾けてはどうやと思います。

野田 同じように、Jアラートで「頑丈な建物に避難してください」と呼びかけますが、この「頑丈な建物って何だ」という議論があります。

竹中 それを探しに家から出たりして……(笑)

野田 そういうこともあって今は「頑丈な」は取りましたけど。先ほどの生字幕も同じで、何か基準があってそれに当てはめるという考えでは、大変な瞬間に十分対応できません。これを変えていくために、総務省だけでなく、障害当事者も含め放送局も一緒になった議論で前に進めていくことが大切です。

竹中 あまねく伝えることが一層大事な瞬間ですから、よろしくお願いします。

 

NHKと同時常時配信に関する問題

― 世界で放送事業が大きく変化しています。スマホなどのデバイスと通信の技術進化で4Kの動画ですら配信できる時代となり、放送電波だけでなく、ネットワークを利用して放送コンテンツを同時に配信したり、見逃しても見ることができるようなサービスが世界で広がってきています。日本では、NHKの同時常時配信が議論されています。これから必要な議論をどう考えていますか。

竹中 NHK経営委員を7年前から3年間やりましたが、その当時からネット配信は話題になっていましたし。ずっと検討してきたテーマだと思います。

野田 20年前の郵政大臣のときには、インターネットが解禁され、これを使って経済活動を応援しようという気運がありました。当時の技術では、動画配信することや、ましてやテレビ放送を同時に配信するなどは、夢のまた夢でした。とはいえ、当時から放送と通信の関係をどう考えていくべきかという議論がありました。20年後の現在、放送とネットの技術はクロスしてきていますが。この課題の結論はまだ出ていません。

竹中 若い層はテレビ受像機を買うよりも、スマホに金をかけるというテレビ離れも進んでいますから、NHKの今後を考える上で大事なポイントです。

野田 大きく2つの課題があると考えています。まず一つは、スマホでテレビ放送を見たいというニーズがあるのかどうか。さらにスマホで見るとしたらどんなコンテンツなのか 長い尺か短い尺かも含めて調べることです。もう一つは、NHKは受信料で経営してきていますが、この同時常時配信をどう位置づけるかです。放送の本来業務なのか、補完業務なのか、についてもはっきりと示すべきことですし、経営のガバナンスの問題もあります。

― NHKは10月末から「試験的提供B」に取り組んで、テレビを持たない人も含む主にネットを利用する人のニーズ分析を行う計画を発表しています。

野田 もう一度、原点回帰が大事です。視聴者ありきの視点から公共放送の役割は何か。どう果たすのかを深めながら、その上で受信料を議論すべきでしょう。モニタリングした結果、テレビ離れではなく、放送コンテンツ離れならばネット配信をやっても関心が広がりません NHKの試験的提供Bは必要で重要なモニタリングでしょう。

竹中 この問題の議論は、どっかズレてるように感じています 受信料に含むかどうかより、これからの放送をどう号えていくかという大きな方向性が必要なのに、受信料云々が先に出てくるのはおかしいと思います。

野田 視聴者を代表して言えば、いい番組、興味あるコンテンツならば、それは放送電波だろうがネット回線だろうが構わないのです。そうした視聴者の感覚も含めて議論してもらいたい。

― 予定時間が過ぎていて、次の来客の方が待たれているそうです。もっと対談していただきたいのですが、タイムアップです。お忙しいお二人に時間をいただき感謝です。 35年を経て、最新のメディアテーマを女性同士で語っていただけるようになったことを心強く感じています。ありがとうございました。

 

野田聖子

1960年 9月 生まれ
1987年 4月 岐阜県議会議員選挙当選
1993年 7月 第40回衆議員議員総選挙で初当選、以来連続8期当選
1996年11月 郵政政務次官
1998年 7月 小渕内閣郵政大臣
2008年 8月 福田康夫内閣内閣府特命担当大臣・消費者行政推進担当大臣・宇宙開発担当大臣
2009年 9月 麻生内閣内閣府特命担当大臣・消賢者行政推進担当大臣・宇宙開発担当大臣
2012年12月 自由民主党総務会長
2016年 1月 衆議院災害対策特別委員長
2016年 5月 自由民主党岐阜県支部連合会会長(現職)
2017年 8月 総務大臣・女性活躍担当大臣・内閣府特命担当大臣

竹中ナミ

1948年神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。
重症心身障がいの長女(現在44歳)を授かったことから独学で障がい児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足。1998年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得して理事長(現職)。ニックネーム:ナミねぇ。

文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会委員、財務省財政制度等審議会委員 、内閣官房雇用戦略対話委員、社会保障国民会議委員、総務省情報通信審議会委員、内閣府中央障害者施策推進協議会委員、国土交通省歩行者移動支援プロジェクト委員、などを歴任。1999年10月「エイボン女性年度賞 教育賞」受賞。2009年春、米国大使館より「勇気ある日本女性賞」を授与さる。同年天皇皇后両陛下より「春の園遊会」に招かれる。2010年6月〜2013年6月、NHK経営委員。2012年4月、関西大学経済学部客員教授 に就任。2012年9月、経済産業省「ダイバーシティ経営企業100選」運営委員会委員 に就任。2013年10月、産経新聞厚生文化事業団理事 に就任。国土交通省「ICTを活用した歩行者移動支援の普及促進検討委員」 に就任。2007年11月より「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト(10省の事務次官が参画する勉強会)」を主宰。2008年6月より「神戸スウィーツ・コンソーシアム(KSC) 」を日清製粉と共同開催。

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